東京地方裁判所 昭和40年(レ)395号 判決 1968年3月04日
控訴人 槌田孝三
右訴訟代理人弁護士 秋田経蔵
被控訴人 野沢国作
右訴訟代理人弁護士 妹川正雄
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「(一)原判決を取り消す。(二)(主たる請求として)被控訴人は控訴人に対し別紙目録記載の家屋(以下本件家屋という)を明渡し、かつ本訴状送達の翌日より右明渡し済みに至るまで一ヵ月一万円の割合による金員を支払え。(三)(予備的請求として)被控訴人は控訴人が本件家屋を取り壊して新築するまでの間一時他に転居しなければならない。但し新築後は当事者双方の協定する借家条件に従って入居せよ。(四)控訴費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は左記のほか原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
一、控訴代理人は次のとおり述べた。
(一) 本件家屋は腐朽の程度が著しく、すでに朽廃の時期が迫っているものであって、土地利用の点から見ても、また経済上社会情勢上から見ても現在これを改築する必要があり、しかも控訴人は被控訴人に対し一時転居してくれれば築造家屋完成次第、賃料一ヵ月一万五〇〇〇円程度で新たに賃貸してもよく、また一時転居する場合の移転先も用意する旨の申出をした。よって控訴人には本件家屋に関する賃貸借を解約するにつき正当の事由があるので、仮に信義則違反を理由とする解除が無効であるとしても、控訴人は本件訴状をもって賃貸借を解約する旨の申入れをしたものであり、右訴状が被控訴人に送達された昭和三九年九月八日から六ヵ月を経過した昭和四〇年三月八日をもって賃貸借は終了した。
(二) 本件家屋は右のとおり腐朽しているので、控訴人としてはこれを建て替えるか、少くとも大修繕をなす必要がある。よって控訴人は予備的請求として民法第六〇六条第二項に基づき、または同条項の精神に則り被控訴人に対し一時他に転居することを求めるものである。
(三) 立証≪省略≫
二、被控訴代理人は次のとおり述べた。
(一) 本件家屋が腐朽しているとの点は否認する。被控訴人としては、本件家屋を使用するについては充分注意を払い、昭和一三年ごろには畳を入替え、昭和二四年ごろには屋根の修繕をし、昭和三六年には柱、戸袋等の修繕をするなどして、建物の保存には常に意を用いて来たものであって、本件家屋は現在腐朽してはいない。被控訴人が本件家屋を必要とする事情については原判決事実摘示中、被控訴人の答弁六項記載のとおりである。
(二) 本件家屋は腐朽しておらず、客観的に見れば改築する必要はないのであるから、控訴人がこれを改築するとしても、被控訴人には明渡しを受忍させられる義務はない。
(三) 立証≪省略≫
理由
一、控訴人がその所有する本件家屋を被控訴人に賃貸し、賃料が一ヵ月二〇〇〇円であることは当事者間に争いない。
まず信義則違反を理由とする解除の成否につき考える。控訴人が昭和三九年二月、被控訴人を相手方として東京北簡易裁判所に対し調停の申立をしたことは当事者間に争いないところ、≪証拠省略≫によれば、右調停において、控訴人は本件家屋を改築するため被控訴人に対し一時立退きを求め、かつ新築後は賃料一ヵ月一万五〇〇〇円程度で入居させる旨を主張し、被控訴人は賃料が一挙に一万五〇〇〇円となることには応じられないとし、本件家屋を改築せずにそのまま居住していたいと希望し、但し賃料は一ヵ月五〇〇〇円程度に値上げしても良い旨申入れていたが、結局両者の主張が一致点に達せず、右調停は不調となったことが窺える。後記認定のような被控訴人の家族、収入の状況、本件家屋の状況に照せば、被控訴人の右希望は、相当譲歩してなされたもので、誠実なものであったと認めざるをえない。そして右調停が不調に至る過程において被控訴人がことさらに非協力的態度に出たり、賃貸借における信頼関係を破壊し、その存続を不可能にするほどの背信行為ないしは信義則違反の行為をなしたと認めるに足りる証拠はない。
よってこれを理由とする控訴人の解除の意思表示は無効といわざるを得ない。
次に正当事由による解約の成否につき考えるに、賃貸家屋の朽廃の時期が迫った場合、賃貸人がこれを大修繕ないし改築するために賃貸借を終了させる必要があり、その必要が賃借人の利益と比較して大きいときは解約申入につき正当の事由があるものと解される。
そこで正当の事由の存在について見ると、≪証拠省略≫によれば、本件家屋は建築以来約四〇年を経過し、土台や柱の下部に多少の腐触が見られるけれども、補修が加えられている箇所もあって全体としては居住には何ら差しつかえなく、建物の利用価値を増し、更には賃料の増収を図るためであればともかく、建物の古さから見た場合には、部分的な修繕は必要ではあっても、大修繕又は改築の必要性はないのであり、朽廃の時期が迫っているとは到底認められず、これに反する当審証人槌田はるの証言は採用できない。
他方≪証拠省略≫によれば、被控訴人はすでに七〇才を過ぎ、脳溢血で倒れて後は寝たり起きたりの生活をしており、妻も六〇才に近く、その生活はもっぱら長男幹和の収入にかかっていること、幹和は本件家屋において弟の国男を手伝わせてビニール革履製造の手間仕事をしており、収入は一ヵ月五、六万円程度であるが、幹和も妻と子供三人をかかえており、結局被控訴人としては右の家族七名とともに本件家屋においてやっと生活の安定を得ている状況であることが認められる。しかるに控訴人は、前記のとおり調停において被控訴人に対し、本件家屋を改築した暁には賃料一ヵ月一万五〇〇〇円程度で入居させてもよい旨の申出をしたのであり、現にまたこのような主張を維持しているのであるが、前記事実関係の下では、被控訴人としては賃料が一挙に七倍余になることはその生活状態から見て相当の困難を伴うものと考えられる。
以上の事実によれば本件家屋を改築するために賃貸借を終了させる必要性は乏しく、他方これによって被控訴人の受ける不利益を考えれば、賃貸借を解約するにつき正当の事由ありとなすことはできないのであり、他に正当事由の存在を肯認するに足りる証拠もないので、その存在を前提とする解約の申入れもその効力を発生するに由ない。
よって賃貸借の終了を理由とする控訴人の主たる請求は理由がない。
二、次に賃貸借契約を存続させることを前提として、賃貸人たる控訴人が賃借人たる被控訴人に対し一時他に転居すべきことを求める権利の有無につき考える。賃貸人は、賃貸家屋の保存に必要な行為をするため、必要とあれば賃借人に対し一時その明渡しを求めることもでき、賃借人は、これを受忍する義務があるものと解される(民法第六〇六条第二項)。しかし、建物の改築は、旧建物についての賃貸借の終了を来す行為であるから有効な解約申入れがあって後始めてなしうるところであり、また改築は、賃貸物の保存に必要な行為ではないから、賃貸人は改築を理由として賃借人に明渡を求めることはできない。のみならず、前段認定のとおり、本件家屋はその古さから見た場合部分的な修繕の必要はあるにしても、いまだ大修繕の必要はないものと認められるのであるから、控訴人は、本件家屋の大修繕を理由として被控訴人に明渡を求めることもできない。また被控訴人が一時これを明渡さなければならない程の修繕を必要とすることについても、これを肯認するに足りる証拠はない。
そうだとすれば控訴人が本件家屋を改築し、または大修繕を加えるにつき、賃借人たる被控訴人に一時明渡しを求める権利を有することを前提とする控訴人の予備的請求も理由がないことに帰する。
三、以上のとおりであるから控訴人の本訴請求はいずれも失当としてこれを棄却すべく、これと同趣旨の原判決は相当であるから民事訴訟法第三八四条第一項により本件控訴を棄却し、控訴費用の負担につき同法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩村弘雄 裁判官 舟本信光 原健三郎)